第13話    勝  負   平成15年7月22日 


「釣道」
は庄内藩独特の文化であった。藩主自らが釣をし、武士の鍛錬と称し公に認めていたのは江戸時代の他の藩にはなかったであろう。しかし、認めていたとは云え武士の釣は「武芸」のひとつとしての「釣道」であったから、間違って事故を起こせば家禄の減俸は元よりお家断絶もあった。
現代の趣味のとしての釣ではなかったのだから当然である。磯へ釣に行くと云う事は、心身の鍛錬と同時に戦場へ行くと同じ事であったのである。間違って足をとられ海へ落ちた、怪我をした、刀を海に落としたなど言語道断であった。戦場だったら命を落としたと同じ事である。だから釣りに行くとは云わず、「勝負」に行くと云った。つまり城下町から磯場までは行軍であり、夜の出立の場合は斥候、物見であった。磯場は戦場であり場所の選定、潮を読むことは作戦を練ることであり、見事黒鯛を仕留める事はに戦いに勝った事になるのである。

当然釣に行ったと分かれば「今日の御勝負は如何でしたか? と尋ねられた。釣果がなければ「空勝負」、大物とのやり取りは「大勝負」、見事取り込みに成功すれば「名勝負」と云ったそうだ。

釣に行っても必ず釣れるとは限らない。その日の潮を読み、場所を選定し、長年培った技を使って始めて釣れるのである。

黒鯛を釣るには、完全フカセで約7mからの苦竹製の庄内竿を振るには、かなり熟練が必要である。超ベテラン、名人になれば別だが、殊に風のある日などは、思うポイントへ飛ばすことは不可能に近い。まさに神業に等しい。

庄内での昔の完全フカセ釣では基本的に竿プラス約二尋の場所に針がある。長竿を使って少しでも黒鯛のポイントを広く探り、潮の流れを読み自然に餌が泳いでいるかに見せるのが技である。黒鯛は昔からズル賢い魚である。あの手、この手を使ってはじめて釣れたのである。まして今のテグスと違い絹糸を撚って自分で作ったものである。太ければ魚から見えるし、細ければ弱い。

私はこの「勝負」と云う言葉が好きだ。釣れなければ、黒鯛に負けたということである。天候、場所の選定、潮の読み、技のどれかヒトツ欠けても釣れる事はない。庄内での完全フカセ釣法では、黒鯛を見事釣り上げるのは運だけではなかったのである。